その着物は、 祖母が収容所へ向かうとき、 自分の婚礼着物と、夫の着物を、手荷物として持っていったもの でした。 持っていけた荷物は、 自分で運べるだけの、ほんのわずかなもの。 その中に、 二人が結婚したときに身にまとった着物を選んだ理由は、 語られていません。 その事実を、 私は後になって知りました。 ある日、一人の女性から、一本のEメールが届きました。 「質問したいことがあるのですが、 お電話でお話しできるお時間はありますか。」 お話を伺うと、彼女は祖母が遺した、古い着物を一枚持っていると言いました。 その着物が、どんな着物なのかを知りたい。 それが、彼女の最初の相談でした。 数日後、彼女は私のスタジオを訪れました。 手にしていたのは、長い年月を経たとは思えないほど、丁寧に保管された一枚の着物でした。 広げてみて、私は息をのみました。 それは、婚礼着物でした。 一緒に収められていたのは、丸帯。 婚礼用の帯で、重さはおよそ4〜5キログラム。 今ではほとんど目にすることのない、格式の高いものでした。 彼女は、その着物を 「自分の結婚式で着たい」と言いました。 けれど、祖母はとても細身の女性だったようで、 その着物は、今の彼女の体型には身幅が少し足りませんでした。 特に、着物の内側に重ねて着る、赤い襟のついた襦袢は、 どうしてもサイズが小さく、 そのまま使うことができませんでした。 そこで、中に着るものだけは私のスタジオのものを使用し、 祖母の着物に合わせて、 襟の色や雰囲気をできる限り近づけました。 その上に、祖母が遺した婚礼着物を重ね、 補正と着付けで、なんとか袖を通せる形に仕上げました。 支度を終えたあと、 彼女は静かに着物に手を触れながら、言いました。 「おばあちゃんが、この着物を着ていたんですよね。」 その目には、涙が浮かんでいました。 まるで、布の向こう側に、 祖母のぬくもりを感じ取ろうとするかのように。 そして、同じケースの中には、 もう一着、着物が入っていました。 夫である祖父の着物です。 そばには、すっかり茶色に変色し、 固くなった足袋もありました。 着物の寸法から、祖父もまた、とても細い体格の男性だったことが分かりました。 二人の着物を私に見せながら、 彼女はずっと、言葉少なに、涙を流していました。 やがて、彼女はこう話してくれました。 これらの着物は、 祖母が収容所へ行くとき、 自分の婚礼着物と、夫の着物を、手荷物として持っていったもの なのだと。 […]

これは、私の着物人生の中でも一生忘れない1日でした。 まずは、ほんの一瞬のシーンですが…おばあちゃんの「初めて自分の着物姿を見た瞬間」をどうぞ。 🎥 その瞬間のショート動画はこちら → YouTube Shorts なぜこの日、おばあちゃんは着物を着たのか おばあちゃんは92歳。認知症が少し進み始めていて、日によって会話がはっきりする日もあれば、曖昧になる日もありました。 この日、おばあちゃんが着物を着た理由は——大好きな孫の結婚式に参加するため。 家族はこう考えていました。 その判断は、奇跡のようにちょうどいいタイミングでした。 家族の中で、おばあちゃん“だけ”が日本語 お孫さん夫婦も、他のご家族も全員英語。おばあちゃんだけが日本語を話します。 だから私は着付けに入った瞬間から、ずっとおばあちゃんと日本語でお話ししていました。 その会話が、あまりにも優しくて、深くて、切なくて…。 おばあちゃんが語ってくれたこと 着付けをしながら、おばあちゃんはこんな話をしてくれました。 おばあちゃんはゆっくり丁寧に、時々迷いながら、でも心の奥から言葉を出してくれました。 その内容を後でご家族に英語でシェアすると、家族みんなが静かに涙ぐんでいました。 ”もうひとつの願い” 会話の途中で、おばあちゃんは突然こんなことを言いました。 「もうひとり孫がいるやろ? きっとあの子が花嫁の着物姿を着て見せてくれるやろうから、それが楽しみなんよ。」 胸がぎゅっと締めつけられました。 実はその“もうひとりの孫”というのは、この日まさに結婚式を迎えたお孫さん本人のことだったのです。 記憶が揺れる瞬間がありながらも、その言葉の奥にあったのはたったひとつ。 「孫の花嫁着物姿が見たい」 という純粋で温かい願いでした。 その言葉を、私は後でお孫さん(花嫁)に伝えました。 結婚式が終わったあと、お孫さんから連絡がきました。 「おばあちゃんと一緒に、着物で写真を撮りたいです。」 その瞬間、私は思いました。 ——おばあちゃんが望んでいたのは“花嫁の着物姿”。それなら絶対に白無垢がいい。 提案すると、お孫さんはすごく嬉しそうに「ぜひ撮りたいです!」と返してくれました。 しかしその後、ご夫婦は新居のリノベーションに入ることになり、撮影は “少し先でもいいか” という流れに なりました。 しかし —— あと一歩、間に合わなかった 数ヶ月が経ち、ようやく撮影できるタイミングが来た、その時。 おばあちゃんが転んでしまい、顔を強く打って入院。 そこから体調はゆっくりと崩れていき、そのわずか1ヶ月後——静かに眠るように、旅立たれました。 後で家族から聞いた話。 おばあちゃんの体には何十年も前から癌が広がっていて、92歳まで元気で生きていたこと自体が奇跡だったそうです。 そして——お孫さんが望んでいた 「おばあちゃんと2人で着物姿を残す」 という願いは、叶わないままになってしまいました。 おばあちゃんは、孫の結婚式の日に初めて着物を着た。 あれが、最初で最後の、奇跡の着物姿でした。 最後に読者へ — メッセージ […]
